セ・パ両リーグを経験し、今ではベテランの粋にまで上り詰めた内川聖一選手。「短期決戦の鬼」「ミスター短期決戦」の異名を持ち、球界を代表するアベレージヒッターとしてWBCでも大きく活躍。そんな内川選手のプロフィールなどを解説していきます。
ボクも「ミスター短期決戦」になるぞ!それじゃ、お疲れ!
いやいや、待てい。短期だからって早く帰るって意味じゃないよ
えーそうなのー?
全く……今回はセ・パ両リーグで活躍したベテラン内川聖一選手についてご紹介していきます
目次
内川選手のプロフィールを紹介!
ここでは内川聖一選手のプロフィールについて紹介していきます。出身地や生年月日、ポジションや背番号、内川選手がどんな選手かを解説しています。
出身地:大分県大分市
生年月日:1982年8月4日(37歳)
身長:185cm
体重:92kg
投打:右投げ右打ち
背番号:25→2→24→1
ポジション:内野手、外野手
球界を代表するアベレージヒッター
早打ちではあるものの三振が少なく、球を引きつけて逆方向へ飛ばせる広角打法が持ち味。
日本プロ野球界において右打者史上最高打率の記録を保持しており、史上2人目となるセ・パ両リーグでの首位打者及び最多安打を獲得しています。
また、7年連続打率3割を達成しており、通算8回の打率3割達成者でもあります。
ここ一番で打ってくれるベテラン選手
打って欲しい時に打ってくれる。ピッチャーにとってこれほどありがたい選手はいません。
もちろん、内川聖一選手の活躍だけで試合に勝てるわけではありませんが、ベテランがチームを率先することで、チームの指揮にもつながります。
内川選手は技術面だけでなく、精神面においても、必要とされる重要な選手です。
動画は2017年の東北楽天ゴールデンイーグルスとのクライマックスシリーズにおいて、同一ステージでは史上初となる4試合連続本塁打の映像です。
重要な場面での勝負強さは凄まじいものです。
内川選手の主な経歴を紹介!
ここでは、内川聖一選手の経歴について紹介したいと思います。プロに入団してから今に至るまでをいくつかの項目に分けて紹介していきます。内川選手について知りたい方は是非ご覧ください。
大分工業高校から横浜へ入団
大分県立大分工業高等学校に在籍していた内川聖一選手。
高校1年生の時には「骨嚢腫(こつのうしゅ)」により、左かかとの手術をおこない、3ヶ月の入院を余儀なくされました。
内川選手の高校時代は、甲子園に出場する機会こそありませんでしたが、しかし、復帰後は努力と自身の野球センスの高さから通算43本の本塁打を記録しています。
当時のスカウトからは、内川選手はプロにも通用するミート力と打撃フォームを持っており、打率を残せる選手であると評価されました。
そして、内川選手は2000年のプロ野球ドラフト会議にて、横浜ベイスターズから契約金8,000万円、1位指名を受けて入団を果たします。
ちなみに骨嚢腫(こつのうしょう)とは、骨に穴があく病気で、骨が折れやすくなってしまいます。
2008年には打率4割を残す活躍
横浜ベイスターズでプロ野球生活の幕を開けた内川聖一選手ですが、入団間もない頃は即戦力として活躍できたわけではありません。
昇格や降格を繰り返し、原因不明の体調不良でボールを握ることすらできなくなるなど、順風満帆とはいきませんでした。また、内川選手もこの当時の心境をこのように述べています。
「5年目ぐらいまでは毎日必死だった。レギュラーをつかみかけては離す。そんなことが続くうちに、他球団では同い年の中島裕之や片岡治大が活躍し始め、置いていかれる感覚があった」
しかし、内川選手は代打などの数少ない機会で、少しずつ結果を残すようになると、2008年には一塁手のレギュラーに定着します。また、打撃も開花し始め、打率が4割を超える時期もありました。
その実績が認められ、オールスターゲームに監督推薦で初出場し、2試合を通じて5打席連続安打を記録して「マツダ・ビアンテ賞」を獲得しました。
そして、内川選手は日本人選手のセ・リーグ記録も更新する打率.378 を記録し、自身初となる首位打者に輝き、最多安打、最高出塁率のタイトルも獲得。得点圏打率は両リーグトップの.449を記録する活躍を残しました。
WBCに3大会連続の代表入り
内川聖一選手は前述した記録を残し、2009年の開幕前に開催された「第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」に選出されました。
内川選手にとって、左胸に日の丸が入ったユニホームを着ることは自身の夢であると語っており、今回の選出は内川選手にとっては特別なものだったでしょう。
また、福岡ソフトバンクホークスへ移籍後の2013年と2017年にも選出され、ただひとり3大会連続で代表入りを果たしました。
ソフトバンクではキャプテン就任
2010年に福岡ソフトバンクホークスへと移籍した内川聖一選手。
移籍後の2011年のシーズンでは怪我に悩まされ、代打出場にとどまる試合がありながらも、規定打席に到達。シーズン終了時には自身2度目の首位打者、そして史上2人目のセ・パ両リーグでの首位打者を達成しました。
また、2014年の日本シリーズにおいては、ここ一番で結果を残してチームの優勝に大きく貢献。最終的な成績は打率.307、18本塁打、74打点と活躍し、日本シリーズでMVPを獲得しました。
2015年には上述した成績から、ソフトバンクホークスのキャプテンに就任し、同時に内川選手の打撃センスから、打点の量産を狙えるとした工藤公康監督の起用で 4番打者を担当します。
キャプテンとして、そして4番打者としてチームを牽引し、若手選手の見本にもなりました。内川選手はその後、ホークスが主将制度を廃止する2019年までキャプテンとしてチームを支え続けます。
上の動画では満塁のチャンスで走者一掃の逆転タイムリーツーベースを放った際の内川選手です。
内川選手を支えるのは嫁・長野翼
怪我に苦しみながらも、現在でも最前線で活躍を続ける内川聖一選手。
そんな内川選手を支えるのは、元フジテレビアナウンサーの長野翼(ながのつばさ)さんです。
元々、長野翼さんのファンであった内川選手は、本人に「ファンです」と告白し、出会いから1ヶ月後には知人を介して会食。交際がスタートしました。
退社後は内川選手をサポート
そして、2010年の3月24日に結婚し、フジテレビを退社。現在は内川聖一選手のサポートに徹しています。
ちなみに2人の出会い・馴れ初めは、2009年に行われた第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だそうです。
現地取材を任されていた長野翼さんが、内川選手を含む代表メンバーにインタビューをしたことが、出会いのきっかけとなりました。
日の丸を背負って戦いたいという内川選手の願いが叶った年でもあり、とても充実した年となったことでしょう。
現在では3人の子供に恵まれている
夫婦円満なようで、2012年には第一子となる女の子、2017年には第二子となる男の子に恵まれました。
そして昨年の2019年には第三子となる男の子が産まれたようです。
WBCでの縁から、プライベートにおいても充実した内川聖一選手。今後も親子揃って、自身の野球を貫いてくれることでしょう。
内川選手の引退!?
プロ野球選手として活動するようになってから、内川聖一選手は今年でプロ20年目を迎えます。
年齢や成績の面から、一部のメディアでは引退についての記事が掲載されていることもあります。しかし、本当に引退をしなくてはならない状態なのでしょうか。
打撃に陰りが見え始める
2018年のこの年、内野手として登録された内川聖一選手。5月9日の西武ライオンズ戦において2000本安打を達成するも、打撃は開幕から絶不調。
打率は2割ちょっとの数字となってしまい、怪我や体調不良などの影響でレギュラーシーズンをほぼ棒に振ってしまいました。
2020年で38歳、年齢も影響か
また、内川聖一選手は今年で38歳となります。プロ野球生活は20年目を迎え、野球選手としてはベテランの粋にまで達しています。
どんなに肉体を鍛えたとしても、やはり鍛えられない部分というのは存在するので、打者であれば動体視力などの低下などは致命傷となってしまうでしょう。
守備はパ・リーグ新記録達成
しかし、内川聖一選手は2019年においての守備では驚異的な数字を残しています。
この年の一塁手の守備では規定守備に到達しており、失策0、守備率10割のパ・リーグ新記録を達成しました。内川選手はこの数字とともにゴールデングラブ賞を受賞。
プロ19年目にして、内川選手自身初の記録となりました。
内川選手自身の問題
数値や年齢的な面を考えれば、やはり引退がちらついてくるのは仕方のないことでしょう。
しかし、これ自身は内川選手の決めることで、ファンがとやかく言うことはできません。「もう辞めたほうがいい」「まだ続けられる」と声をかけることは簡単ですが、本人にとっては耐え難い苦悩になっている筈です。
ファンであればこれからの内川選手を見守り、グランドに立つ間は暖かくも熱い声援を送り続けましょう。
最後に…
以上、内川聖一選手の紹介でした。
2020年で38歳となるベテラン選手として、今後の内川選手の活躍がどのようなものになるのか。
ファンであれば、内川選手が歩む道を暖かく見守りましょう。
ここまでご覧いただきありがとうございます。
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